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Oneshot ファーストインプレッション 「プレイヤー」と「ゲームの世界」

ゲームだからこそのストーリーないしナラティブ、そして体験はプレイした者のみが味わえる特権と言えるだろう。
その中でも「プレイヤー」の存在を確実に感じさせたり、プレイヤーへの訴えをなにかしら行うゲームというのもそう少なくない。

例えば「Spec Ops:The Line」はウォーカー大尉を操作するTPSのゲームだが、終盤に近づくにつれてロード画面などでまるで「プレイヤー」に対しチクリと胸を刺すような言葉を投げつけてくる。
また、プレイヤーのやり方によって ED も変わってきたり、「プレイヤー」の行為がウォーカー大尉と連動してどういう結果をもたらすのかが分かるのも私にとっては評価が高い作品だ。
「Undertale」はどうか。
「Undertale」はストーリーテリング主流であり、プレイを通して笑えたり時には感動できたりする、ゲームならではな演出を体験させてくれる。
一方で、しなくてもいいレベル上げをおこない、愛すべきモンスターたちの命を作業的に奪い、自らゲームの世界を壊すようなマネをすることで、残酷なまでにいかにこのゲームの「プレイヤー」が力を持っているかを教えてくれる。
そして、プレイヤーの好奇心がもたらした結果はプレイしたプレイヤーこそわかるはずだ。
「The Stanley Parable」はどうか。
「プレイヤー」は「Stanley」というキャラを操作し、ナレーターのいう事に従ったり従わなかったりし、結果どういうことになるかを体験するアドベンチャーゲームだ。
このゲームで興味深いのは前述した「Undertale」とは真逆で、「プレイヤーがいかに無力か」を知るゲームである。
なおこれは、とある reddit のスレを見て腑に落ちた内容ということは言っておく。
「The Stanley Parable」はナレーターのいう事に従えば一件落着なのである。
でもそれだけ?ナレーターのいう事に逆らえば「プレイヤー」がゲームの中で力を持てるように動けるのでは?そもそもガイドに従って終わりなんて煮え切らなくない?
そんな好奇心とその他色々な感情をもとに、ナレーターのいう事に逆らったらどうなるか…それは自身の目で確かめてほしい。
ともかく、「プレイヤー」の力が遠く及ばないゲームというのも存在する。
では「Far Cry 3」 は?
これは主人公もその性格もはっきりしているゲームだ。
しかし、ストーリー中盤で、敵キャラであるバースが放つ「狂気の定義を知ってるか、ジェイソン。同じことを何度も繰り返し、期待することだ」といったセリフでハッとさせられた。
ストーリーを進める上では無意味に近い基地や電波塔の解放、アイテムの収集。それらのモチベーションを保っていたのはまさにそういった感情があったからではみたいなことを自覚させられたからだ。
また、ジェイソン自体とてもプレイヤーが感情移入しやすい主人公であり、とあるミッションで主人公ジェイソンとプレイヤーである私の意識が完全に合う事態も発生した。
意識せずジェイソンと「プレイヤー」が一体となりジェイソンへの言葉、逆にジェイソンが放つ言葉がそのまま自分に刺さってくるのだ。
まさにそういった面で Far Cry 3 は通常のストーリーテリングだけでなくメタフィクション的な意味も込められているゲームと言えるのではないだろうか。
これらのように「プレイヤー」を意識させたりそうでなくともなにかしらメタを含みそれをゲームのフレーバーとして取り込む作品は少なくなく、私には安易にそういったことをやるようでなければそういうのは大好きな要素である。

さて、前置きが大変長くなってしまい申し訳ない。
今回紹介するのは、そんな「プレイヤー」の扱い方で新鮮な気分を味わえた、「Oneshot」というゲームだ。
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www.youtube.com

ゲームの世界観

このゲームは、Niko というキャラクターが突如目覚めるところからはじまる。
目覚めた場所は Niko さえも知らない場所で、そこで彼はとある電球を発見する。
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その電球はこのゲームの、この太陽がなくなってしまった世界における「太陽」であり、それを持ち歩く Niko は救世主と言われる。
そして、この世界を救うためにこの「太陽」を世界の中心である「塔」に持って行く、という重大な任務を行うこととなる。
あなたは Niko くんを導いて、この世界を救う手助けをするのだ。
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「プレイヤー」と Niko

特筆すべきなのは「プレイヤー」は確かに Niko を操作し、謎解きを行うアドベンチャーゲームなのだが、他と違うことがある。
それは、Niko が「プレイヤー」の存在を認識しているということだ。
ネタバレになるし私もまだ最後まで進めていないので詳しいことは控えるが、少なくともこのゲームにおいて「プレイヤー」がゲーム世界に干渉をすることを Niko などがわかっているということだ。
言ってしまえばこれは「プレイヤー」すらもキャラを動かしたり謎解きをする以外でのこのゲームにおけるファクターの一部である、ということだ。
また、「プレイヤー」にゲーム外でとある行動をするようなことも命じてくる。
これは、非常にプレイしてこのゲームに驚かされたことのひとつである。
前置きでも上げたような「The Stanley Parable」も似たようなことをしてきた。
例えば実績に「5年間プレイしない」というものがあるが、こういったもののことである。
しかし、これは実績というあくまでとことん好きな人がやりこめばいいよという類のものであり、Oneshot のようにストーリーを進めるうえでごく自然に入れてきたというのは珍しいかもしれない。(もしかしたらそういうゲームが色々あるかもしれないが)

世界とキャラたち

操作する Niko は可愛らしいが、他にも特徴的なキャラはいくつかいるので、ぜひプレイしてもらいたい。
また一方で、世界は太陽がなくて暗闇に包まれているのがわかるのも特徴的だ。
決して重くはない(とプレイ途中だがそう感じる)が、そういった世界を探索するうちに色々な景観を知り、好きになるのもいいかもしれない。

プレイしていて感じる魅力

上でも書いたようにこのゲームは「プレイヤー」が認識されている。
なので、ちょっとした工夫も感じられてこれは動画などじゃあ決して味わえないものだと感じた。
また、Niko くんが語りかけてくるたびに「操作している」というだけでなく「一緒に旅をしている」という感覚すらも味わえて来る。
ここは素晴らしいところだと感じた。

最後に

ぜひこれを読んで買うようなことがあれば、フルスクリーンでゲームもできるがあえてウィンドウモードでプレイしてほしい。
ちょっとだけではすまない発見があるはずだ。
さて、プレイの方に戻りたいと思う。